わたしがアメリカに決めたワケ
こんにちわ!にゃんたろうです。
さてなぜアメリカにしたかです。
ポイントは3つ
まず一つ目
アメリカへのあこがれ
わたしは日本生まれ日本育ち。中流階級の家庭で育ってきました。
高校の米国人による英語授業の時はワクワクしたものです。
すこしでも「Hello」と挨拶できてにっこりスマイルできれば、クラスで一目置かれる存在になれたものでした。
当時からかわらず、今も日本は概ねアメリカ贔屓があると思います。
もちろん、アメリカは日本よりも格差社会といわれ、いろいろとダークサイドもあるといわれているのは重々承知しております。
それでも、書籍や講演会でアメリカ留学した人たちの爽やかな笑顔を携えて帰ってきた日本人のみなさんの活躍を見るたびに「ああ、私も行ってみたい」と憧れていました。
教育制度の充実
二つ目は大学院で受けられる教育の内容が濃いということ。
私の行く大学では、最初の1年は研究室をローテーションして好きな研究を選ぶ制度もあるし、途中でなんか違うなと思ったら、専攻を変えられます。
驚いたことに、なんと、学ぶ大学・大学院すらも変えられます!!!
アメリカは単位制のため、引き継ぎが楽で、transferはいたって普通に行われているのです。
さらにさらに!!Double Majorといって、専攻をもう一つ増やしたりもでき、本当にその人が学びたいと思ったことへのサポート体制が充実!!!
これは何をやりたいかわからないという人にとっては素敵な制度ではありませんか!?
これは私見ですが、最初からこれをやりたい!!と決まっている人の方が圧倒的にマイノリティだと思います。さらにいえば、最初はこれがいいとおもっていたものの、実際にやってみたら「あれ?なんか違うな、、、」と思うこともたくさんあるはずです。
私も当初は病院実習(医学生が病院を見学する研修です。見てるだけがほとんど)の結果、皮膚科志望でしたが、研修医となり実際チームの一員として関わっていくうちに、「あれ、、、内科って結構いいな、、動脈硬化楽しいな」と思うようになり、内科に変えた過去があります。
ですので、とりあえずなんかやってみて、あわなければ変える選択肢があるという環境が当たり前に整備されていることに非常に魅力を感じたのです。
機会が多い
でもね、でもね、、、
実際問題きってもきれないお金の話があるでしょ。
日本ではよく聞く話です。
たとえば、、、
「お金がなくて、進学をあきらめて就職した」
「修士号、ましてや博士号なんかとったって就職に有利になるどころか不利になる」
「かといって大学にのこっても万年助教、これじゃ食っていけないよぉ」
「医師になったら博士号って本当に必要?日常業務に関係する?」
上記の話は私の周りでもよく聞きます。
最大の問題は大学院は自費が一般的だということ。そして、修士号、博士号がキャリアアップにあまり活かせないこと。
けれど、アメリカでは真逆なんです!!!
アメリカの大学院は基本的に入学を認められれば、学費免除・生活費支給が当たり前です。(この制度については今後別ブログで詳述します)
さらに、アメリカでいいところに就職したければ博士号は必須!!!修士号よりも博士号!!!就職の機会が段違いだそうです。
なぜなら、そういう資格を持った学生たちは企業にとって即戦力になるから。だから、高いお給料を支払う価値があると認識されているのです。
ですので、超一流大学の博士号をもつところがりこんでくるチャンスもあからさまに違うのです。
言い換えるとそれだけ大学院では求められることも多く、宿題や課題の量が半端ないし、越えなければならない山がたくさんあるということ。
大学側も、卒業生の質が保てないと、自分の大学のブランドも下がり経営困難になるので、きっちりと学生を教育しようとするからなのです。
2度と戻らない時をどこで、誰と、何をして、どのように過ごすのは非常に「よく生きる」上でとても大切とよくいわれています。
私は、アメリカで就職するかは別として、学費免除・生活費支給という破格の条件で異国の教育が受けられるのは最高だと思いました。だって、もしあわなければやめて日本に戻ってきても金銭的なダメージはないってことでしょ。それに、異国で過ごすことは人生に何かしらの影響をあたえてくれるので決して無駄にはならない。
つまり、アメリカ大学院という選択肢はわたしにとって日本大学院と比較して得しかない選択だと思ったわけです。
一回しかない人生、、、みなさんはどう考えますか?
次回以降は具体的な話に移っていきます。
にゃんたろうでした!
なぜ私が大学院を受験すると決めたか
こんにちわ。にゃんたろうです。
日本は先進国だし、ものづくり能力や教育システムも充実している誇りある国です。
じゃあなんでその国を飛び出して異国の地で学ぼうと思ったのか?
今日はそれについてまとめてみました。
本日のコンテンツ
なぜ大学院へ?
実はわたし、現役の医者なんです。
専攻は内科です。研究はずっと興味ありました。
今やだれもに認知された「動脈硬化」
それに医学生のときに魅せられて以降ずっと興味深々でした。
漠然とその神秘を解き明かすには「研究」が必要なんだと思っていましたが、正直あまりに漠然としておりました。
正直母校の医学教育もあまり真面目に取り組んでいなかったので、そもそも「研究」に関するカリキュラムにあったかどうかもあやふやです(多分なかったと思う。。。汗)
わたしにとって「研究」って、
どうやるの?
1からまったくわからない。
なんとなくマウスをつかって未知を調べる
この程度でした。
自学しようとおもって、書店の医学研究コーナーへ行っても
『基礎からわかる細胞培養!!』
『14日で完成!医学統計』
『この1冊であなたも臨床研究マスター』
的な本たちが(上記の本はにゃんたろうのイメージです。実在しているかはわかりません)山積みになっており、試しに数冊買ってみるものの、、、
読んだら秒で寝れるものでした(爆)
自学してもできないので、教えてくれる先生を探そうとにゃんとたろうは次に試みました。
研究を行っている先生の研究室のドアをたたき、弟子にしてくれと頼みます。
快諾してくれた先生はポスドクや大学院生に師事して学ぶようにいわれました。
毎日くっついてテクニックを学びます。マウスに麻酔をかけて採血もできるようになりました。説明通りに行えばELISAもPCRもできるようになりました。
でも、、、
これって研究の本質なのか???
と悩むようになりました。
つまり、なんでこの手法をえらんだのか?そもそも何を研究したいのか?などの論理的思考のトレーニングができていなかったのです。
治療に例えて言うと、、、、
採血も点滴もばっちしです!
でもなんでこの人に採血と点滴するのかわかりません!
これじゃあ困っちゃいますよね。
正しくは、、、
この人は〇〇と◆◆が疑われるから鑑別するために△を採血で調べよう。
また、▲▲が不足しているから点滴で補ってあげよう!
があるべき思考回路のはず。
研究だからって同じ思考をしなければ世を変える新発見はできないはず。
わたしのこの疑問を解決してくれるところはないものか、、、、!!!
そうだ!大学院に行こう!
となったわけです。
次はなぜアメリカの大学院に決めたかを話そうかと思います。